谷戸の女(続・八王子)後編

川奈まり子
「オトキジ」怪談連載March 26, 2021

作・川奈まり子

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【音と一緒に楽しむ怪談】

【物語の途中には、川奈さんによるコメント音声声優による朗読、そして後編の最後には 八王子の郷土史家へのインタビュー音声 があります。ぜひ最後までお聴き下さい。

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 ――そして話は、もうひとりのエトランゼたる女が、彼の地で殺された話に移るのだ。


 書籍を含めてさまざまなところで大学名も関係者の実名も書かれているから、私がここでぼかす必要などないかもしれない。おまけに浅井としについては実名を記したのだから、こっちの事件だけあえて名前を伏せる合理的な理由は乏しい。

 もっとも、助教授が起こした事件については、彼の職場が今も立派に存続している有名大学であるがために、書くことに若干リスクが生じるのだが……。

 某大学は、繰り返し名誉を傷つけられることを嫌うだろう。

 ちなみに「助教授」は二〇〇七年の学校教育法改正前の職階で、その仕事は、教授の職務を助けることを主としつつ、自らの研究や学生指導にもあたる……というものだった。

 単なる偶然だが、事件が起きた頃は、私の父も別の大学の助教授だった。

 父は後に教授になり、すると父の研究室にいる助教授が片倉の家を訪ねてきたり、父の口から頻繁に彼の名前を聞いたりするようになったものだ。大学や学部、研究の種類や教授の性質により、教授と助教授の距離には差があったようだが、事件を起こした某大助教授も、自分が仕える教授と近しくしていたという。教授の別荘にまで頻繁に出入りし、合鍵を預けられていて、教授不在の折でも、別荘の建物を自由に使うことが許されていたそうなので、深く信頼されていたようすが窺える。

 その別荘というのが、鑓水にあった。

 道了堂から二・六キロ南下した辺りに、キリスト教会がある。これは元々、クリスチャンだった教授が別荘の敷地内にこしらえた私設礼拝所だった。

 殺害現場は恐らく、この礼拝所を含む別荘の敷地内だとされている。

 某大助教授は、昭和四八年(一九七三年)七月二〇日、不倫相手だった二四歳になる教え子=大学院生を教授の別荘で殺害して、いったん別荘の敷地内に遺体を隠した後、あらためて亡骸を取り出して敷地のそばの山中に運んで埋め直したのだった。

 遺体が発掘されたのは、被害者が失踪してから二百二十三日ぶりのことで、そのときすでに犯人の助教授は家族を道連れに南伊豆で入水自殺を果たし、とうに遺体が上がっていた。生前に、同僚に向かって「(愛人を)始末した」と打ち明けていたことも、前年のうちに新聞で報じられていた。

 警察の捜査は難航し、遺体が見つかるまでに約八ヶ月も要した。

 遺体発見を報せた昭和四九年三月一日付け朝日新聞の朝刊に、発見現場を表す地図が掲載されている。

 これと現在のグーグルマップの鑓水地区の部分を照らし合わせて、川や道路など地形が同じ部分を探し出した。

 すると、なんとしたことか――今までいろいろなところに書かれてきた「殺された女子大生の幽霊」が出た場所の〝根拠〟が、みんな崩れてしまったのである。


 たとえば、道了堂に被害者女性の遺体が捨てられていたとする説が根強く存在する。

 道了堂跡で若い女の幽霊を見たという体験談を語る者が、いまだに多いせいだ。

 私自身も「道了堂の付近に遺体が捨てられた」という意味の記述をしてしまったことがある。

 ところが、これが根拠を持たない。

 はっきり言えば、大間違いであった!

 新聞に載っていた地図とグーグルマップを重ね合わせて確認してみたところ、真実の遺体発見現場は、教授の別荘にあった礼拝所(教会)から南東に百メートルほど行ったところだとわかってしまったのだ。

 ここは、地図上の直線距離にしても道了堂から二キロも離れている。山林を迂回して道を歩いた場合には三キロ近い道程になるから、見当違いも甚だしい。

 道了堂付近の他に、被害者が埋められていたのは(だからその幽霊が出没するのは)「鑓水公園」とする説や「鑓水板木の杜緑地」とする説も存在する。

 しかし、これらも残念ながら誤りだったことが明らかになった。

 どちらも、遺体発見現場から五百~六百メートル以上も離れているからだ。

 殺害現場からはさらに遠い。

 では、本当の死体遺棄現場は何処で、どんな場所なのか?


 そこは現在、八王子市の市有地で、昭和六三年(一九八八年)に遷座してきた「日影弁財天社」に伴う、人工的な鎮守の森「鑓水日影弁財天緑地」の一部になっている。

 鑓水日影弁財天緑地は東西に伸びた細長い形をしているが、遺体が掘り出されたポイントは、そのエリア内部の中央よりもやや西寄りの南端だと推測される。

 そこから道路を挟んだ南側に、現時点のグーグルマップで「鑓水サーキット」と表示される広い草っ原の空き地があり、問題のポイントがそこにかかっている可能性もある。

 しかし、新聞に掲載された地図を信じるなら〝臭い〟のは鑓水日影弁財天緑地内だ。

 事件を伝えた朝日新聞の記事によれば、当時そこは多摩ニュータウンの造成予定地で、「教授の別荘の裏山」だった。

 崖の下だったそうだが、今でもそこには急傾斜の土手が存在することが確認できた。


 ――それにしても、どうして事件現場の近くに神社を建てたのか?

 私は鑓水日影弁財にある「遷座記念の碑」の碑文を読んで、因縁めいたものを感じてしまった。


《古来より日影の里に鎮座して氏子に敬い親まれて来た 日影弁財天社 日影伏見稲荷社は 多摩ニュータウン事業計画の一環として この地に遷座し給うものである》


 伏見稲荷社!

 田の神。そして狐……。嫁入り谷戸の狐伝説を髣髴させるではないか!


 多摩ニュータウン事業計画の一環で遷座させたというが、「日影の里」とは、鑓水にあった「日影谷戸」一帯のことと思われた。

 地租改名前は「伊丹木谷戸(板木谷戸)」が「日影谷戸」と呼ばれていた。鑓水の一ヶ所に影の字が異なる「日陰」と地名が記された資料もあるが、「日陰」と「日影谷戸」は隣接しているので、同一地域と見做しても問題なさそうだ。

 碑文の「日影の里」が「日陰」エリアなら、ネット上で遺体発見現場=幽霊出没地帯と噂されている「鑓水板木の杜緑地」の辺りで、「伊丹木谷戸(=日影谷戸)」なら、「鑓水板木の杜緑地」に隣接した東京都の有形民俗文化財に指定されている「小泉家屋敷」の周辺ということになる。

 いずれにせよ、鑓水地区のほぼ中央の辺りである。

 そこから弁財天と稲荷社を、死体遺棄現場の近くに、事件から十四年後に遷座してきて、社の周囲に植樹して鎮守の森を作ったのだ。


 一家心中をしたとき、某大助教授は三八歳で、妻は三三歳、子どもは六歳と四歳の姉妹だった。

 四人の遺体は静岡県賀茂郡南伊豆町の海岸で釣り人によって発見された。検死の結果、亡くなったのは九月四日だとされた。一九七三年のことである。

 愛人殺害から一ヶ月半余り後だった。

 殺害直後に助教授は、愛人を殺したことを同僚にほのめかしており、同僚から別の同僚や師事していた教授へ、さらに大学当局へと情報が拡がって、強く自首を勧められていた。

 その一方で、彼が手にかけた女子大学院生についても、行方不明事件としてマスコミで報道されだした。

 おまけに、妻が自殺未遂をした。何か察したのだろうか……。以前にも夫の浮気に悩んで自殺を図ったことがある妻だった。

 助教授もまた、罪から逃げ切れないとわかるに従って、妻と同じく、死へと気持ちが傾いていったとみえる。幼い娘たちにとっては災難で、親による子殺し以外の何物でもなかったけれど、結局、夫婦は心中を選んだのだった。

 四人が死んで流れ着いた海辺のそばには断崖があり、絶壁の上に、風で飛ばされないように石で重石をした遺書が置かれていたという。

 鑓水で人殺しをして、伊豆で心中をした。

 しかし助教授の家は東京都豊島区にあったし、彼に殺された女子大学院生は病気療養のために山梨県の実家に帰省中だった。殺害される前の日に都内の大学病院を受診するために上京して、北区の親戚宅に宿泊した。

 ――鑓水に来さえしなければ、この女学生は助かったのではないか?

 彼女は妊娠したと助教授に告げていた。妻と離婚しろと迫っていたという話がある。

 運命の一九七三年七月二十日、鑓水は雨だった。

 教授の別荘で二人が逢引したのは、これが初めてではなかった。

 話し合うつもりが、揉めた挙句に衝動的に殺してしまったのかもしれない。

 ともかく、蕭々と温い雨が降りしきる夏の午後、男は女を縊り殺した。

 殺してしまってから、彼は慌てたように、同僚にアリバイ工作を依頼することになった。

 しかも、殺害を半ば打ち明けながら……。

 殺人当夜、自宅に近い池袋駅で偶然、同僚に遭ってしまったがために、彼は咄嗟にそんな愚かなことをした。

 彼は雨に濡れていた。しかし、その日、東京都心部には一滴の雨も降っていなかった。

 同僚は不審に思い、その場で彼になぜ濡れているのかと質問した。

 すると、うかうかと要らないことまで喋ってしまったわけである。殺人と死体遺棄という異常な緊張を伴う行為の後で、軽躁状態だったのかもしれない。

 このときの同僚がその晩のことを警察に話し、これが遺体発見の決め手となった。

 師事していた教授の別荘があることと、女子大学院生が失踪した日に鑓水が局地的な降雨に見舞われていた事実が、捜査陣を遺体発見現場へと導いたのだ。

 遺体捜索開始から間もなく、被害者が失踪当日に履いていたハイヒールの左側だけが、別荘の敷地の端で見つかり、捜査陣は快哉を叫んだ。

 ……が、この靴の周囲からは遺体が発見されなかった。

 最終的に、刑事たちは臭いを頼りにしたそうだ。

 検土杖といって土壌検査に用いる鋼鉄製の管がある。教授の別荘周辺にそれを突き刺してまわり、しらみつぶしに「臭い土」を探したのだ。

 ――死体遺棄事件現場の土は、バターが腐ったような悪臭を放つという。

 そのときまでには、殺害から七日後、助教授は再び鑓水を訪れて、殺した女を埋め直したこともわかっていた。別荘ではなく、敷地からわずかに外れた山中が〝臭かった〟。

 遂に発見されて掘り起こされたとき、遺体は半ば死蝋化していた。

 胎児の格好に体を折り曲げられた上で、骨が折れるほどきつくナイロン製のロープでがんじがらめに縛られ、地面から五十数センチの深さに埋まっていたとのことだ。

 ――鑓水に余所から来た女が、またしても殺される仕儀に陥った経緯は、以上である。


 よく考えると、小学四年生から片倉に住みだした私も、谷戸に侵入した余所者だった。

 彼の地で過ごした少女時代に、よく見た不思議な夢がある。

 その夢では、私は絹の道を往く葬列を眼下に見下ろしながら宙を飛んでいるのだった。

 月影が明るい晩だ。秋の初めだろうか。いたるところで鈴虫が鳴いている。

 満月の光を背にして、地上二〇メートルほどの高さをふわふわと飛びながら、私は葬式の行列を追っていた。

 なんだか変わった葬式で、三〇人余りも行列した人々が皆、白い着物を身に着けている。

 ごく若い女が先頭の方で提灯を掲げている。たいへん整った面立ちを持っているが、緊張しきって目が釣りあがっているせいか、どことなく狐を想わせる。

 その隣は厳めしいようすの坊さんで、この人だけが黒い衣を着て、袈裟を掛けている。

 誰も遺影を持っていない。一輪の花も見当たらない、色彩のないお弔いだ。

 列のなかほどで男たちが棒に吊るした桶を担いでいるのだが、あの中に仏さまが納まっているに違いなかった。蓋が閉まっているから亡骸は見えない。

 一同は、片倉の方から鑓水の奥に向かって絹の道を進んでいく。

 やがて川のせせらぎが聞こえてきた。

 鳥のように辺りを俯瞰している私の目は、すでに光る水面を捉えていた。川に映った月が眩しく輝いている。

 あの光の中に落ちそうだと思って戦慄した途端に、先頭の女が私を見上げて口をパクパクと動かした。大声で何か言っているようだ。

 だが、どういうわけか聞き取れず、あの女は化け狐なんじゃないかと思って、ますますゾッとしながら、私は川に映った満月めがけて流れ星のように堕ちていった。

 ――頭から水に突き刺さった途端に、いつも目が覚める。

 長らくあの夢を見ていないが、十代から二十代にかけて、幾度となく繰り返し見たので、記憶は鮮明だ。

 今思うと、いちばん前を歩いていた女は浅井としで、としの叔母の浅井貞心の葬式の場面のようでもある。

 ――どうしても、嫁入り谷戸の伝説が想起されてしまう。

 どこからか「女狐、死すべし」と冷たく宣告する声が聞こえてくるようだ。

 もしかすると、四六時中、道了堂で遊んでいた私も危ないところだったのかも……。


 助教授の事件の被害者が埋められていた付近で怪異を体験した人がいるかもしれないと思い、地元の伝手を頼って根気強く探したところ、ひとりだけ見つけることができた。

 死体遺棄現場から徒歩で五分もかからないような場所に、美術大学のキャンパスがある。体験者は、そこに通う女子大生だ。

 昨年の七月下旬、夏休みの直前に、キャンパスの近所を散策していて、入ったことのない路地を試しに歩いてみたら、ややあって鳥居を見つけたのだが、日影弁財天というその御社を見た途端に、わけもなく怖くなってしまった。

 名は体を表すという。

 日影というその御社と鎮守の森は、薄暗い影に包まれていた。谷地にあるから翳っているのだとは思ったが、なんだかゾッとしたのだった。

 そこで回れ右してキャンパスに戻りかけると、後ろから誰かがついてくるような予感がするではないか。

 気のせい……?

 恐る恐る振り返った。

 すると、さっきの鳥居の前に、自分と似たような年頃の若い女が、こちら向きに、棒のように突っ立っていた。無表情に、じっと視線を向けてきている。

 鑓水のこの界隈で若者と言ったら、自分と同じ美大の学生ばかりだ。

 だから、あの子もそうなのだろう……といつもなら思うところだが、ひどく薄気味悪い。

 なんで黙ってこっちを見ているのか、訊くのも怖かった。

 だから黙って前に向き直り、歩を速めてキャンパスを目指した。

 ところが、また誰か後ろからついてきた。今度は気のせいでは済まされない。タッタッタッと、背後に迫ってくる足音がはっきり聞こえてきた。

 咄嗟に、あの女が追ってきたのかと思いながら振り返った。

 しかし若い女は鳥居の前にいた。

 同じ場所に同じ姿勢で留まり、動いたようすもない。

 それを見て、一気にうなじの毛が逆立った。泡を喰ってキャンパスの方へ駆けだす。

 ……と、後ろの何者かも走りはじめた。

 途中、足がもつれそうになったが、走りながら何度も振り返った。

 何べん見ても、女は微動だにしていなかった。

 あの女からは遠ざかっているのだ。

 だが、足音だけが明らかに追いかけてくる。

 追いつかれてはたまらないので、転がるように必死で逃げた。

 最後に振り向いたのは、交差点のところで角を曲がるとき。

 道はゆるやかにカーブしていて、鳥居の辺りはもう視界から消えていた。


「交差点は十字路で、この辺から突然、景色が明るくなって、急に空気が爽やかになったのがわかりました」と彼女は私に説明した。

「でも、あの女がまだ鳥居の前に立っていて、意識だけを飛ばして、私をまだ追い掛けてきているんじゃないかって……あのときはなぜかそう思えて、本当に怖かったんです。だからその日は彼に大学まで迎えに来てもらったし、散歩は相変わらず好きですが、もうあの道は二度と通りたくないと思ってます」

 あまり怖い話じゃなくてごめんなさい、と、彼女は私に謝ってくれた。

 私は彼女に訪ねた。

「鳥居の前にいた女性は、どんな格好をしていましたか? 服装や体つきなどを憶えていたら教えてください」

「ごめんなさい。一年以上前のことになるので、細かいところは忘れてしまって……でも、ひとつだけはっきり記憶に残っているんですけど、靴が赤かったな……と。それに変な話ですが、追いかけてきた靴の音からハイヒールが想像されて、理由はないけれど、今思い出しても、その靴の色は赤いというイメージが頭の中に湧いてくるんですよ」

「……赤いハイヒールを履いた若い女性が走っているイメージですか?」

「はい。逃げる私と同じくらい必死に駆けているんです。踵の高い赤い靴を履いて、転びそうになりながら」


 ――一九七三年にここで殺されたときに女学生が履いていて、左側だけ先に見つかった靴は、真っ赤なハイヒールであった。






※主な参考文献


『呪われたシルク・ロード』辺見じゅん(角川書店)

『滅びゆく武蔵野 第二集 ■特集/変貌する多摩丘陵と絹の道』

解説・桜井正信/撮影・岡田沢治(有峰書店)

『幻の相武電車と南津電車』サトウマコト((株)230クラブ)

『八王子の歴史文化 百年の計(八王子市歴史文化基本構想)』八王子市教育委員会

「朝日新聞」1974年3月1日発行・朝刊


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●川奈まり子 プロフィール

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作家。

『一〇八怪談 鬼姫』『実話奇譚 怨色』『少女奇譚』『少年奇譚』『でる場所』『一〇八怪談 夜叉』『実話奇譚 奈落』『実話奇譚 夜葬』『実話奇譚 呪情』『実話怪談 穢死』『迷家奇譚』『出没地帯』『赤い地獄』など、怪談の著書多数。

日本推理作家協会会員。


●声の出演

藤川弓

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【特集インタビュー:歴史探訪】

地元の歴史家に聞いた「八王子の歴史」by himalaya

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「谷戸の女(続・八王子)」いかがでしたでしょうか。

今回 himalaya では、川奈さんの作品にも登場する鑓水をはじめ、八王子に詳しい地域の歴史家にインタビューを敢行。遣水の歴史、多摩地域の民権運動、八王子の戦争と、戦前〜戦後まで深く地域を知れるシリーズを制作しました。

読了後は、ぜひこちらもお聴き下さい。


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【特集】歴史探訪 - 東京・八王子 編 himalaya公式


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怪談川奈まり子