リジョイス聖書日課

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リジョイスは「日本キリスト改革派教會 教育機関誌委員會」が毎月発行している機関誌です。リジョイスには聖書日課が用意されており、日替わりで聖書のみことばと解説が紹介されています。
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なぜ、労苦する者に光を賜り 悩み嘆く者を生かしておかれるのか。(ヨブ3:20) (ヨブ記3章20節) 神との正しい関係にある義人、ヨブの苦難の物語が始まります。ヨブの苦難は神が彼の信仰の真実さを信じておられるからこそ起こりましたが、ヨブがその理由を知る由もありません。財産と子どもたちを失った上に、ひどい皮膚病にかかったヨブは、それでも唇をもって罪を犯すことはありませんでした。愚かなことを言う妻をたしなめ、どこまでも栄光を神に帰しました。しかしその內心は、引き裂かれるような激しい苦悩と戦っていたのです。 ヨブを見舞いに來た3人の友は、かける言葉も失い、衣を引き裂き、塵を振りまき、ただ7日7晩ヨブと共に地面に座るしかありませんでした。その後にヨブは口を開いたのです。ヨブは自分が生まれた日を呪い、自分の存在自體を根底から否定します。そして死が訪れないことを深く嘆くのです。しかし、ヨブは自ら死を選ぶことはしません。自分自身が神によって生かされていることを信じているからです(20節)。ですから、繰り返されるヨブの「なぜ」は、神に向けられています。 苦難の中でなお「なぜ」と、神に向かって叫ぶ信仰を失わない人は幸いです。その人は何よりも神の答えを待ち望む人であり、その人の叫びを、神は必ず聞いておられるからです。 【祈り】 主よ、苦難の中で「だから神などいない」と諦めるのではなく、「主よ、なぜですか!」と叫ばせてください。

あなたが主に信頼する者となるように 今日、あなたに教えを與えよう。 (箴言22章19節) 「箴言」というこの書物の題を他の言語で十分に訳すことは難しいと、ある注解者は書いています。確かに、単なる格言集という枠には収まりきらないことが箴言には書かれています。しかし、その目的ははっきりしており、まことの知恵と諭しを與え、未熟な者に熟慮を教え、主を畏れることを學ばせるものです(1章冒頭)。 きょうの箇所は、「賢人たちの言葉を聞け」という書き出しで始まる部分の冒頭にあります。ここでも社會生活上の様々な格言や教訓が語られますが、弱く貧しい人に代わって爭われる主がおられることを示しています(23節)。 賢人たちの賢さは、主を畏れ、主に信頼するところにこそあります。彼らの語る多くの格言は、それらの一つひとつが主を畏れることにつながっているものです。読者は、それを悟り、主を畏れつつ信頼することを學ぶのです。 そして、自分も実は貧しく弱い者であることを知り、そのような者に代わって命を贖ってくださる主に信頼する道を歩くことを教えられます(23章11節)。 私たちも貧しく弱い罪人です。その私たちに代わって罪を贖ってくださる主を信頼して、きょうもまた共に主を仰ぎましょう。 【祈り】 父なる神様、私たちも自分の貧しさと弱さを知り、主に心から信頼する者とならせてください。

わたしパウロが、自分の手で挨拶を記します。わたしが捕らわれの身であることを、心に留めてください。恵みがあなたがたと共にあるように。 (コロサイの信徒への手紙4章18節) 11節には「ユストと呼ばれるイエス」という人物が紹介されています。その後、割禮を受けた者では、この3人だけがパウロと共に働いたと記されています。「アリスタルコとマルコ、また、ユストと呼ばれるイエス」という3人です。割禮を受けたということは、彼らがユダヤ人であることを意味します。彼らもまたパウロと共に挨拶を、コロサイ教會の信徒たちに伝えています。 さらに12節から14節にはユダヤ人ではない人びとが紹介されています。「エパフラス」はコロサイ教會出身の牧師です。コロサイ人で、ユダヤ人ではない異邦人です。14節には、「醫者ルカ」と「デマス」が登場します。すなわち、ルカもデマスも異邦人でしたが救われて、キリスト者になった人たちです。 このようにしてユダヤ人と異邦人がコロサイ教會に挨拶をしているのは彼らが同じ信仰を持っているという意味です。教會とは地域的にいくら遠く離れていても、人種と文化が異なっても、生きて來た歴史が異なっても、一つの信仰告白と、三位一體の神によってつながっています。「わたしたちの父である神と、主イエス・キリストの恵みと平和が、あなたがたにあるように」。 【祈り】 さまざまな隔ての壁を越えて、私たちが一つの信仰を與えられ、神の教會に屬することが許されていますことを心から感謝します。

あなたがたがキリスト・イエスにおいて持っている信仰と、すべての聖なる者たちに対して抱いている愛について、聞いたからです。 (コロサイの信徒への手紙1章4節) パウロは3節で「すべての聖なる者たちに対して抱いている愛について聞いた」と言って、神に感謝しています。不思議な言葉ではないでしょうか。パウロはコロサイの教會の人たちのすべての人たちに対しての愛を感謝しているのではありません。「すべての聖なる者たち」に対して抱いている愛への感謝を述べます。すなわち、兄弟姉妹に対する愛なのです。どうして、すべての人たちに対してではなく、兄弟姉妹への愛について感謝しているのでしょうか。 他の聖書の箇所でパウロは「愛のために労苦し」と語っています(1テサ1章3節)。「労苦」は、「打つ」という言葉から來て、「むやみに毆られる」「むち打たれる」という意味です。それで、聖書の「労苦」という言葉は「苦痛」「苦しみ」を表します。 教會で兄弟姉妹への愛に生きることは當たり前のことではありません。そこには愛の労苦が必要です。私たちが神からいただいた愛をもって兄弟姉妹を愛するとき、神は、「あなたたちには愛の労苦がありますよ」と言ってくださいます。愛の労苦は教會を教會らしくする一番基礎的なものです。自分のためではなく兄弟姉妹のために、共に「愛の労苦」をし、高ぶることなく、忍耐し、神の栄光を表す信仰生活をしたいと思います。 【祈り】教會に生かして、兄弟姉妹を愛することに召していてくださることを心から感謝します。

悩みが喜びに、嘆きが祭りに変わった月として、この月の両日を宴會と祝祭の日とし、贈り物を交換し、貧しい人に施しをすることとした。 (エステル記9章22節) 第12の月、すなわちアダルの月の13日は、敵がユダヤ人を征伐しようとしていた日でした。しかし、エステルの願いにより、事態は逆転します。その日は、ユダヤ人が仇敵を征伐する日となったのです。ユダヤ人は、この日を祝宴と喜びの日としました。ユダヤ人は今でも、この日をプリムの祭りとして祝っています。プリムの祭りの由來については、9章24節から26節にこう記されています。「全ユダヤ人の敵アガグ人ハメダタの子ハマンはユダヤ人絶滅をたくらみ、プルと呼ばれるくじを投げ、ユダヤ人を滅ぼそうとした。ところが王に知らされると、王は文書をもってハマンがユダヤ人に対してたくらんだ悪いたくらみはハマン自身の頭上にふりかかり、彼は息子らと共に木につるされるよう命じられた。それゆえ、この両日はプルにちなんで、プリムと呼ばれる」。 エステル記には、神という言葉が一度も記されていません。しかし、この物語の中で働かれているのは、イスラエルの神、主です。主は、モルデカイやエステルを用いて、更には、ペルシアの王クセルクセスを用いて、禦自分の民を救い、嘆きの日を喜びの日に変えてくださったのです。 【祈り】 神よ、あなたは、さまざまな人を用いて、禦自分の民を救い、嘆きの日を喜びの日へと変えてくださいます。感謝いたします。

こうしてハマンは、自分がモルデカイのために立てた柱につるされ、王の怒りは治まった。 (エステル記7章10節) ハマンは、モルデカイをつるすために、22メートルもある高い柱を自分の家に立てました。そして、そのことを進言するために、王のもとに行きます。ちょうどその時、王は宮廷日誌を読んでおり、モルデカイに何か褒美を與えようと考えていました。王はハマンに「王が栄譽を與えることを望む者には、何をすればよいか」と尋ねます。ハマンは、自分のことだと考えて、その者に王の服を著せ、王の馬に乗せて広場で觸れ回るようにと進言します。しかし、それはハマンのことではなく、モルデカイのことでした。王は、ハマンに、その言葉どおり、モルデカイにするようにと命じます。ハマンは、自分の口で、モルデカイが王から栄譽を與えられた者であると宣言するのです。 エステルは、2回目の酒宴の席にも王とハマンを招きました。そして、「私のために私の命と私の民族の命をお助けいただきとうございます」と王に願い出ます。エステルは王の前で、自分の命と自分の民族の命が滅ぼされそうになっていること、そして、そのことを企てたのがハマンであることを訴えます。これによって、ハマンは王の怒りを買い、モルデカイをつるすために立てた柱に、自分がつるされることになるのです。 【祈り】 神よ。あなたは、ふさわしい時に信仰ある者を用いて、私たちを敵の手から救ってくださいます。感謝いたします。

「定めに反することではありますが、私は王のもとに參ります。このために死ななければならないのでしたら、死ぬ覚悟でおります。」 (エステル記4章16節) 第3章には、王によって高い位につけられたアガグ人ハマンの策略が記されています。ハマンは、モルデカイが自分にひざまずいて敬禮しないことに腹を立て、モルデカイの民であるユダヤ人を滅ぼすことにします。その日はくじによって第12の月の13日に決まりました。この日、ユダヤ人は老若男女を問わず一人殘らず滅ぼされ、その持ち物は没収されることになったのです。 第4章には、ハマンの策略を知ったモルデカイの反応が記されています。モルデカイは、衣服を裂き、粗布をまとって灰をかぶり、苦悩に満ちた叫び聲をあげました。そして、エステルに、王のもとに行って、自分の民族のために寛大な処置を求め、嘆願するように伝えるのです。この伝言に対して、エステルは、お召しがないのに近づくことはできないと消極的に答えます。そのようなエステルに、モルデカイはこう言います。「この時のためにこそ、あなたは王妃の位にまで達したのではないか」。このモルデカイの言葉を、エステルは信仰をもって受け入れます。エステルは、自分の民を救うために、死ぬことさえ覚悟するのです。このエステルの覚悟に、私たちは、主イエス・キリストの覚悟を見ることができるのです。 【祈り】 主イエスよ。あなたは、禦自分の民である私たちを救うために、命を捨ててくださいました。感謝いたします。

王はどの女にもましてエステルを愛し、エステルは娘たちの中で王の厚意と愛に最も恵まれることとなった。 (エステル記2章17節) エステル記は、ユダヤ人のエステルがペルシアの王クセルクセスの王妃になった物語です。 第1章には、クセルクセス王が盛大な宴會を催したこと、酒で上機嫌になった王が王妃ワシュティの美しさを高官たちに見せるために召し出したが、王妃が拒んで來なかったことが記されています。このことは、王と高官たちにとって大問題でした。王妃が王の命令に従わないならば、そのことを聞いた女たちが、自分の夫を敬わないようになるかも知れないと言うのです。そのようなことがないように、ワシュティを王妃の位から退け、より優れた他の女に與えることが王の勅令として発布されます。 第2章には、新しい王妃を選ぶために國中の美しいおとめが集められたことが記されています。ベニヤミン族のモルデカイの養女であるエステルも強制的に連れて行かれます。國中の美しいおとめたちが、12か月の美容の期間を過ごして、さらに美しさに磨きをかけて、王の前に立ちます。王は他の誰にもまさってエステルを愛しました。王は、エステルの頭に王妃の冠を置き、ワシュティに代わる王妃にしました。そして、そこには、エステルがまだ知らない神の禦計畫があったのです。 【祈り】 神よ。私たちの人生には、私たちの知らないあなたの禦計畫があることを感謝いたします。

若者を歩むべき道の初めに教育せよ。 年老いてもそこからそれることがないであろう。 (箴言22章6節) 自らの歩むべき道について、何も理解していない私たち罪人は、放っておけば自分の行きたい方へ勝手に歩み出してしまいます。箴言はそれを知っているので、特に若者に主を畏れることを教えるように強く命じます(1章7節、23章13節等)。 若者たちが大人たちの世代を厳しく批判するのは常のことで、それは若者の特権かもしれません。そこには大人たちが聞かねばならないことももちろんあります。 しかし、それなりの年齢に達してきて自分の若い時代を振り返ると、十分な知識と経験もないまま調子に乗って羽目を外したり、偉そうに大人を批判したり、分別のないことをしたものだと、恥ずかしくなることがあります。 箴言が教育せよ、というのは、ただ物わかりの良い、分別くさい若者を生み出したいからではありません。若者が自由な発想で世を動かしていくこともあり得ますが、それでも常に主を畏れる姿勢を持っていなければならない、ということです。 それにより、主の前に自分の小ささや愚かさも知ることになり、週りの人を尊ぶことにもなるからです。若者も大人も、共に主を畏れつつ禦前にへりくだって歩む道を祈り求めましょう。 【祈り】 主よ、若者も大人も主を畏れて共に禮拝しつつ歩めるように、禦言葉によって導いてください。

他の4分の1の時間は、彼らの神、主の前に向かって罪を告白し、ひれ伏していた。 (ネヘミヤ記9章3節) 禦言葉の禮拝と愛餐を共にし、祖國への帰還と神殿再建という神からの恵みと祝福に感謝した人びとは、続けて仮庵の祭を祝い、そして罪の告白と悔い改めの時を持ちました。 それは7月24日のことと記されています。その日の4分の1の時間は、主の律法の書を朗読して過ごし、他の4分の1の時間は、主に罪の告白をしてひれ伏しました。この時、彼らは斷食し、粗布をまとい、土をその身に振りかけて悔い改めと罪の告白を外的にも示しました。 罪の告白の祈りにおいて、神の教えに逆らい続け、戒めに従わなかった先祖の罪と自分たちの罪を告白します。プロテスタントの教會は、罪の告白を禮典として殘しませんでした。ですから、懺悔・告解室のようなものも教會にありません。 しかし、私たちは禮拝の度毎に、罪を告白し、罪の赦しにあずかっています。今も私たちは先祖の罪と自分たちの罪に苦しんでいます。神の教えに聞き、禦言葉を理解すると私たちは罪を知らされます。 教會は、神に対する罪を赦す唯一のところです。悔い改めと罪の告白を禮拝の度毎になして、主イエスによる罪の赦しを心に刻みましょう。 【祈り】 主なる神様。私たちと先祖の罪を赦し、禦言葉に相応しく生きる者としてください。主の禦名により祈ります。

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